上から目線が痛々しいMay_Romaさん
四六時中、ツイートをしている「ツイッター職人」というのがいるようでその中には何者なのか分からないけど、勘違いっぷりが笑える人が結構います。海外に暮らす日本人が日本人を小バカにするネタも尽きないようで・・・日本で何者でもなかった人ほど、海外に住んでいることを武器に何かのエキスパートになったつもりの”上から目線”っぷりがスゴいのであります。
最近のボクの”お気に入り”は、4万人以上のフォロワーを誇る”人気アカウント”(?)May_Romaと名乗るロンドン在住の女性。彼女を崇拝する「ファン」=「信者」だけではなく、ボクみたいに面白がってフォローしている人も、かなりの人数いると思われるのではありますが・・・。
元国連職員で元経営コンサル、公認情報システム監査人(CISA)という肩書きが”自慢”のようだけど、どうやらロンドン在住で英国人と結婚した日本人らしいのです。ツイッターは広告媒体として、彼女の旦那が講師をしているらしい「英語ビジネス」へ誘導することや、「有料ウェブマガジン」を購読させることが目的ようで・・・彼女について語ることは、結果的に彼女のビジネスの「広告」になってしまうのかもしれません。
誰かのツイートに辛辣な批判リツリートの「個人攻撃」を繰り返して、フォロワーを増やしていくのが彼女のお得意な「芸風」・・・彼女の悲観的、かつ、厭世的なネガティブな発言は全否定はしないけれど、日本人の国際認識の甘さや語学力のなさに関しては、とにかく容赦なく辛辣かつ攻撃的なのであります。24時間態勢で日本人相手に大量のツイートやリツリートを繰り返すエネルギーは常人の域を脱しているとしか言いようがありません。しかし・・・本人の英語能力の揚げ足を取られることを恐れてか、ツイートは日本語のみ。あくまでも「日本人相手」なのです。
そんな彼女は、他者からの批判には人一倍、敏感・・・批判に即反撃してしまうのは、実は「打たれ弱い」タイプで、他者からの否定に絶えきれない多様性の許容範囲の狭さの証明でしかありません。自分に対する批判は、表層的な「一般論」に「論点」をすり替えるので、信者たちは拡大解釈をして「禿同!」するというわけです。たちまちタイムラインは怒濤のごとくの「禿同!」のリツリートで埋め尽くされるというのも、まさに4万人以上のフォロワーをもつからこそのネット上の「数」での圧倒としか言いようがありません。自分の失言や無礼な対応は「芸風だから」で済ませるくせに、他者の言葉使いには「説教ババァ」と化して叱ったり、彼女の発言を反するツイートには「アホ」の一喝で晒し者となるのです。
彼女の日本人批判、欧米至上主義的発想は、彼女自身のコンプレックスの裏返しとしか思えないほど的確なところもあるのですが、それは決して”オリジナル”視点というわけではありません。彼女が好んで攻撃/批判している日本人の体質、英語力不足はというのは、彼女自身が英国で生活している上で日々繰り返し感じていることなのかもしれないと察してしまうとこもあるのです。
ボク自身、約20年間の海外生活で、さまざまな日本人をみてきて、海外在住者が陥るコンプレックスは、いくつかの段階があると感じています。
第1段階は、異文化に触れて、何もかも新鮮で素晴らしく感じる時期。1~2年の短期留学や海外赴任は、この楽しい時期だけで終わることが多いでしょう。日本では、まだ知られていない食べ物やお店に興奮して、毎日が楽しくて仕方ないという感じ・・・ある意味、夢に描いた海外生活を”日本人感覚”で満喫できるのは、この時期だけとも言えるかもしれません。
第2段階は、現地での生活に不便を感じ始めて、日本がどれほど素晴らしいかと感じる時期。2年目、3年目になると、現地の良いところだけでなく悪いところが、やたら目につきだすものであります。例えば、日本にはたくさんある公衆便所が海外には少ないとか、店員のサービスが悪いとか、何かと現地に対して批判的になりがち・・・現地の人たち相手に「いかに日本が素晴らしいか」を、ついつい訴えたくなってくるのです。
第3段階では、徐々に現地に馴れてくることによって見えてくる日本人(外国人)に対する差別や自分のコンプレックスが吹き出す時期。日本に対する無知さや差別が、現地の言葉、生活、文化に慣れてきたことで、ヒシヒシと感じ始めてくるのです。この第3段階というのは、海外移住して3~4年目以降に起こり始めることの多い状態でありまして・・・多くの日本人は、この前の段階で帰国してしまうことが多いかもしれません。
この第3段階が厄介な時期で・・・日本人相手に、やたら”海外風”を吹かせてしまうということになるのです。どういうわけか、日本人相手になると日本語能力が一時的に低下するのも、この時期。数10年使っている自国語が、たった数年で忘れてしまうのは、よっぽど言語能力に欠けているとしか思えないのだけど・・・日本語を忘れてしまうほど、現地に溶け込んでいることの無意識のアピールなのかもしれません。ついつい日本語の会話の中に、現地の言葉が入ってしまったり、日本の習慣を忘れたかのような奇行をやってしまったりしてしまうのであります。
内面的には「日本人コンプレックス」や「言葉のコンプレックス」で満ちあふれてしまっているのに、本人には、まったく自覚がないというのが痛々しいところで・・・コンプレックスの捌け口として、現地の情報や海外からの視点を日本人相手に威張りまくってしまいがちなのです。現地の人たちからは良くも悪くも・・・とても「日本人」らしい人だと思われていたりするのに、日本人相手には海外の社会にフィットしている「日本人離れした国際的な人」という自分を過剰にアピールしてしまうのであります。
海外で仕事する人の殆どは日系企業・・・もしくは日本担当部署など”日本人”であることが有利な仕事であることが多いものです。それにも関わらず、自分は日本人以上の存在で日本に暮らす日本人よりも特別な存在と思ってしまいがち・・・でも、現地の人たちから見れば、当然のことながら「日本人」という外国の人でしかありません。
日本の基準は「最低レベル」で、海外は「最高レベル」での比較だから、海外の方が勝って当たり前・・・日本に暮らす日本贔屓の外国人が「日本」を語るとき、日本人がある種の違和感を感じるように・・・海外贔屓の日本人の「海外と比べて日本は」的主張も多かれ少なかれ偏ってしまいがちなものなのです。実は厳しい「現実」と、自分は特別だという「自意識」のギャップが批判的な”上から目線”を生んでしまうのかもしれません。時には、この第3段階にずっと留まってしまうこともあったりします。外国人の旦那と離婚しても、いつまでも夫の外国人姓を名乗り続けてしまったり、とか・・・。誰も訊ねていないのに、海外生活の自慢話を始めたり、とか・・・。「日本は遅れている」「海外なら当たり前」と、なんでもかんでも日本批判に結びつけたり、とか・・・。日本人が何か失態を犯すと、ここぞとばかり重箱の隅を突くように「国際人として恥ずかしい!」などと嘆いてみたり、とか・・・。
第4段階は、コンプレックスや批判から解放された状態・・・現地の実情というのは、あくまでも、それを語る本人が何を体験しているか、何を感じさせられたか次第ということを実感します。個人的な体験を語ることはできたとしても、それを普遍的な情報として伝えることの無意味さ悟るのです。
現地の男性と結婚して海外で暮らす女性の場合、旦那さんの現地での社会的地位や経済力などが、その人の体験に大きく影響します。もしも、日本人が羨むようなセレブ生活をしているとしても、それを日本人相手に自慢や風潮するようなら、それはセレブ生活に隠された苦悩やコンプレックスの裏返しだったりします。本当の意味でのグローバルな視野を持つ人ほど、謙虚で他者を批判しません。多様性を理解することは、実は自分自身と向き合うことなので、自分のルーツや本質を知ることに他ならないのです。「日本人」という”枠”を超えて本当に海外で活躍/成功している人ほど、「日本人であることを誇りにしていたりするのものだったりします。
休むことなく発信し続けられる日本人相手の”上から目線”のツイート、他者を攻撃する罵倒リツリート、矛盾だからけの発言は、May_Romaさんのコンプレックスの深さを露にしてしまうだけ・・・タイムラインで見かけるたびに、日々の生活での苦悩や困難も推測できて、ボクは痛々しさも感じてしまうのであります。
(2012/9/9)